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国際ホロコースト記念日に、「命のビザ」と人道の絆を回顧 – 茂木敏充及びガブリエリウス・ランズベルギス

エルサレム・ポスト紙(イスラエル)への茂木外務大臣とリトアニア外務大臣の共同寄稿(令和3年1月27日)

1月27日の国際ホロコースト記念日に、ホロコーストの悲劇を思い起こし、過去の厳しい時代に、人々の命を救うために職責を超えてリスクをとった勇気ある方々に対して心からの敬意を表します。その中に、数千人のユダヤ人が欧州から逃れることを支援した日本人外交官、杉原千畝氏(「Sempo」としても知られています)がいます。

1939年の秋、当時ナチスとソ連に占領されていたポーランドから約3万5千人の難民が、リトアニアに安全を求めて逃れてきていました。多くの家族、子供、老人、学生、そして様々な職業や宗教の人々がいました。彼らの多くは、身元証明の書類や生活費を持たないまま故郷を離れてリトアニアにたどり着き、保護を受けていました。その中には、当時、世界的に有名なユダヤ系教育機関であったクレツク、ミール、ウォムジャ、カメネツ、グロドノ、ピンスクの神学校から来た若いユダヤ人学生たちもいました。クレツク神学校からは多くの学生が、ミール神学校からも合計500名の学生と教師が来ていました。杉原千畝氏は、1939年にカウナスで日本人外交官として働き始めて間もなく、難民たちがカウナスに到着する姿を目撃したのです。

Consular Office with Original Consular Flag - Chiune Sugihara House - Kaunas - Lithuania
元の領事館の旗が付いている領事館-
杉原千畝ハウス-カウナス-リトアニア
Photo Credit: Adam Jones, Flickr (CC BY 2.0)
Portrait of Sugihara on Desk in Consular Office - Chiune Sugihara House - Kaunas - Lithuania
領事館の机の上の杉原の肖像-
杉原千畝ハウス-カウナス-リトアニア
Photo Credit : Adam Jones, Flickr (CC BY 2.0)

1940年の夏、多くの欧州諸国がナチスやソ連に占領されていたのと同じように、リトアニアはソ連に占領されました。リトアニアのユダヤ人難民は避難場所を探しており、多くの人がビザを入手できることを期待してカウナスの日本領事館に集まりました。その多くはビザ発給の要件を満たしていませんでしたが、人道的な危機に直面し、杉原千畝氏は、後に「命のビザ」と呼ばれるビザを発給するという勇気ある決定を行いました。杉原千畝氏がリトアニアで勤務した最後の数週間に、2100件以上のビザが発給されました。これらのビザによって、難民たちは日本へ渡航・通過することができ、多くの命が救われたのです。

ユダヤ人難民たちは、最終的に北米の目的地にたどり着くまでに、シベリア鉄道で何千マイルも旅をし、海を渡らなければなりませんでした。彼らの自由への長い旅路で、多くの人々が難民たちを支援しました。最終的に、杉原千畝氏と、彼に続く多くの人々の人道的行為が、数千人の無辜の人々の生存に貢献しました。

イスラエルのホロコースト・メモリアルである「ヤド・ヴァシェム」が、1984年に杉原千畝氏に「諸国民の中の正義の人」の称号を与えた後、杉原千畝氏の名前は広く知られるようになりました。今日、杉原千畝氏の名前は、公園や通りの名前にもなり、「命のビザ」に関するストーリーは、展覧会や、映画、ドキュメンタリーにおいて語られています。

カウナスの元日本領事館は、リトアニアの善意ある人々によって博物館となり、「杉原ハウス」と名を改めています。こうして、カウナスの元日本領事館は、今や、人道の象徴となっています。「杉原ハウス」における多くの行事やイニシアティブもあり、杉原千畝氏の遺産は人から人に広がり、若い世代にホロコーストの記憶を伝承し、日本、リトアニアそしてユダヤ人コミュニティーの友情の基礎となっています。

もちろん、杉原千畝氏だけが、危機の時代に勇気と決断を示した唯一の外交官だったわけではありません。杉原千畝氏のように、様々な国の外交官たちが、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人の命を救いました。こうした勇気ある外交官と人道の重要性に思いを致すべく、リトアニア政府は、2020年9月にカウナスで国際会議を開催し、その際、日本、リトアニア、イスラエル及びオランダの外務大臣は共にメッセージを発出しました。

長い年月を経て世界は変わりましたが、人道の重要さは全く変わっていません。また、人間の命はかけがえがないという信念は、かつてないほど多くの人々・国々に共有されています。本日、国際ホロコースト記念日に、良心に従い、ホロコーストの悲劇に無関心でいなかった勇気ある人々に敬意を表したいと思います。

この寄稿は、日本国外務大臣とリトアニア共和国外務大臣によるものです。

出典:外務省ホームページ(当該ページのURL

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